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TOP INTERVIEW これまでのJMC、これからのJMC JMCはこれまでどんな道を歩んできたのか。これから何をめざしていくのか?ものづくりへの思い、未来に向けてのビジョンを社長・渡邊大知が語ります。 TOP INTERVIEW これまでのJMC、これからのJMC JMCはこれまでどんな道を歩んできたのか。これから何をめざしていくのか?ものづくりへの思い、未来に向けてのビジョンを社長・渡邊大知が語ります。

逆境で立ち上げた、3Dプリント事業

逆境で立ち上げた、
3Dプリント事業

逆境で立ち上げた、3Dプリント事業

INTERVIEW 01
逆境で立ち上げた、
3Dプリント事業

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JMCは1992年に父が創業した会社で、もともとは保険代理店として営業していました。私が入社したのは1999年。その当時、私自身は何がしたいという考えはまったくありませんでした。しかし、会社の財務状況が非常に悪い状態にあり、現状のペースで債務を解消するには30年はかかるのが目に見えていました。
その状況を打破するために、様々な事業を考える中、目に止まったのが、先進性のある3Dプリント事業でした。当時、3Dプリント事業に携わっているのは大手メーカーの子会社が多く、どこもかなり小規模だったのです。時代背景としては、3D CADが普及し始め、ISDNなどの高速通信のインフラができてきた状況にありました。足りないのは、3Dプリントの出力する場所だけ。競合もほとんどいない状況、つまり、まだ誰も目をつけていない。やっていないことをやるのはおもしろいし、必ず勝機があると思い、銀行の融資を受けて事業を開始しました。最初は自分で装置の使い方を覚え、自分でものをつくり、自分で納品していました。2004年に私が社長に就任してからは、保険代理業務は止め、3Dプリンター出力事業を中心としたものづくりに集中する体制を整えました。

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人が目を背けた「鋳造」を進化させる

人が目を背けた「鋳造」を進化させる

INTERVIEW 02
人が目を背けた
「鋳造」を進化させる

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JMCの大きな転機は、鋳造事業を営む会社との合併です。そのきっかけは現・専務取締役である鈴木が経営していた鋳造会社のSKE、横浜国立大学と共同で、3Dプリンターモデルの金属化に挑む大型プロジェクトを受託したことでした。3Dプリンターは樹脂でしかつくれないのですが、後々金属にする製品も多く、2004年くらいからはSKEと共同で動いていたこともあり、2006年に正式に合併しました。2000年代に「鋳造」と言えば、一般的には、3K(きつい、汚い、危険)を代表するような業種で未来がないと思われていました。しかし、雇用統計を見ていくと、団塊の世代の離職とともに需給バランスが狂うことは明らかでした。人が目を背けているところにチャンスはある。私は、アナログ技術の代表である鋳造に、JMCの強みであるデジタル技術を組み合わせれば、次世代の鋳造事業を先駆けることができる。そう考え、「少量量産・軽量化・高強度化」という新しい付加価値をつけて、事業展開を進めました。鋳造事業は今、JMCの稼ぎ頭にまで成長しました。

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人が目を背けた「鋳造」を進化させる
足もとから、未来を創造する

足もとから、未来を創造する

足もとから、未来を創造する

INTERVIEW 03
足もとから、
未来を創造する

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CT事業への参入は、自分たちの悩みがきっかけでした。鋳造事業は仕事が増えれば増えるほど、歩留まりに悩まされることも増えていました。私自身も鋳造の職人の技術に頼るような定性的な工程や品質管理に大きな疑問を持っていました。あるとき、現場から上がってきた解決策が産業用CTの導入でした。自分たちの足もとの需要だけでなく、外部からの相談もありました。1台1億円の装置でしたが、医療方面でCTとの関わりが多く知識があったことと、導入に見合う事業規模になっていたことから躊躇なく導入しました。自社の製品品質の向上は結果として対外的にもアピール材料になったかもしれません。
2017年4月から、産業用CTそのものを売る事業もスタートさせました。

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突然の逆風で、目が覚める

突然の逆風で、目が覚める

突然の逆風で、目が覚める

INTERVIEW 04
突然の逆風で、
目が覚める

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2016年11月に東京証券取引所マザーズへ上場を実現しました。しかし、ここまで、やることなすことがすべて当たったというわけではありません。失敗も数多くありました。中でも最大のピンチは2008年のリーマンショック。11月にものづくりの拠点として、長野県飯田市にコンセプトセンターを立ち上げたばかりでした。この工場建設を前提に約束されていた少量量産の仕事が次々と中止になり、厳しい状態に陥ったのです。コストの見直しを行うなど、なんとか黒字を保って乗り切りましたが、このときに気づかされたことがたくさんありました。1つは、大規模な医療や研究開発のプロジェクトはどんなに不景気でもなくならないということ。医療方面への拡販に、より力を入れるきっかけになったと思います。もう1つは営業の姿勢やWEBでの情報発信のあり方です。製造業にありがちなことですが、製品ありきで職人気質の姿勢が、ともすれば顧客との距離をつくっていたのではないか、と。ここは徹底的に見直し、単なるメーカーから「製販両立」の体制を整えました。さらに行政との関わり、業界の展示会への出展なども積極的に行いました。リーマンショックのような強風で転んでもタダでは起きない確固たる基盤づくりは今も続けています。

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難しいことほど、価値がある

難しいことほど、価値がある

難しいことほど、価値がある

INTERVIEW 05
難しいことほど、
価値がある

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経営者として心がけているのは、長期的に利益を出し続けること。そして、参入障壁の高いビジネスに挑むことです。今、ビジネスの世界で流行っている商売には興味がありません。既に多くの人が足を踏み入れた事業ですから、結局は後追いになります。それよりも自分たちの勘や感性で誰もやっていないことを発見し、そこに挑む方がトップをとるチャンスがあります。いま展開している、医療モデルの作成や心臓カテーテルトレーニングシステム「HEARTROID」はその一例です。心臓は言うまでもなく世界のすべての人が持つもので、心臓疾患用のトレーニングモデルは世界各国で需要があります。医療という仕事は決してなくならないため、長期的な利益も見込めます。技術的に高度なものが要求される、つまり難しいだけに成功すれば利益も大きいのです。そして、トレーニングを積んだ医師による医療ミスの削減など社会的な価値もあります。将来的に挑みたいのは、航空や宇宙に関わる事業。普遍的で、気高く、困難なことこそ、やってみる価値があると思っています。

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ものづくりに挑戦的であること

ものづくりに挑戦的であること

難しいことほど、価値がある

INTERVIEW 06
ものづくりに
挑戦的であること

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日本のものづくり、その手法は素晴らしいと思います。問題は発想であり、売り方にあるのではないでしょうか。大切なのは、既存のやり方、当たり前の手法にとらわれず、常に改善できないかと考え続けることが必要です。販売と提案を重んじた営業やマーケティングも大切な要素だと思います。顧客は、需要の表れです。そこから目をそらさず、耳を傾けていきたい。そのうえで、価格競争をするのではなく価値競争で勝負したい。ものづくりのあらゆる段階で挑戦的な姿勢で躍動する。そんな会社であり続けたいと思っています。

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